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東京地方裁判所八王子支部 昭和62年(わ)221号 判決

主文

被告人を懲役二年六月に処する。

未決勾留日数中八〇日を右刑に算入する。

本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和六一年一〇月末ころから東京都西多摩郡奥多摩町所在の建設会社飯場に居住して現場の責任者的立場で稼働していたものであるが、同六二年一月三〇日午後八時ころから奥多摩駅付近で飲酒しての帰途、翌三一日になって同町氷川九五一番地先の南氷川橋南詰の路上に差しかかった際、同様酔って通りかかったA(昭和二五年二月一五日生・会社員)において「どこの者だ」などと因縁をつけたうえ、襟首を掴む、手拳で頭部を一回殴打する等の暴行を加え、さらに上半身裸の喧嘩姿となってなおも執拗に絡んでくる態勢を示したことから、これに激怒すると共に、暴力をもってでもこれを排除し自己の行動の自由及び身の安全を図ろうと決意し、自らも上半身裸となって威を示しつつAと口論を繰り返した挙句、午前一時五〇分過ぎころ、ガードレールを背にした状態で靴を持った右手を振り上げて殴りかかってきたAに対し、防衛に必要な程度を越えて胸部付近を右手拳で力一杯突き飛ばす暴行を加え、同人を約四〇メートル下方の多摩川の河川敷に転落させて頭蓋内損傷、くも膜下出血、硬膜下出血、左肋骨々折、腸間膜出血等の傷害を負わせ、その場で右頭蓋内損傷等により死亡するに至らせたものである。

(証拠の標目)《省略》

(主たる争点に対する判断)

弁護人は、被告人の本件所為は急迫不正の侵害に対する防衛行為としてなされた已むことを得ざる行為であって、正当防衛に該当する旨主張するので、以下この点について判断を示すこととするが、本件はいわゆる「死人に口なし」の事案であって犯行そのものの目撃者もないところ、捜査当初の対応から公判廷での応答態度を通じて被告人には強い防禦念慮のあることが窺われ、またかなり酔っていたことも確かであるから、特に自己に有利にする弁疏については信用性に十分な警戒を払う必要があり、判断は主として客観証拠並びに利害関係のない第三者の供述を拠りどころとするのが相当である。

1  まず、当日午前一時五〇分ころ車を運転して南氷川橋を渡ったBと助手席のCは、いずれも上半身裸の二人の男が向かい合って言い争う姿を車中から目撃したが、目撃の限りでは二人とも終始口論以上の行動に出ることはなかった旨証言し、更に右Bは、二人の男のうち一人の下半身は白っぽいステテコ状であったと供述するところであって、時間・場所及び対象の特異性から考え両名の右目撃の正確性には疑いを容れる余地はない。そして、橋下で発見されたAの死体はまさしく上半身裸、ステテコ姿であるから、状況の示すところ前記両名の目撃したのが被告人とAの対峙する姿に外ならなかったことは明らかである(若し目撃された一人が被告人でないとすると、Aは上半身裸ステテコ姿で何人かと争い、その後上下の着衣をつけ直し―後記D子が目撃した時点では被告人もAも着衣姿なのであるから―、そしてまた同じ上半身裸ステテコ姿に戻って被告人と争ったことにならざるを得ない。しかし、Aが極寒の時期に同一場所で時間的に近接して二度までもこういう特異な行動に出たと窺わせる証拠はない。)。すなわち、対峙する被告人もまた上半身裸の喧嘩姿となっていたことが認められるのであって、これによって推知すれば、遅くとも右目撃の時点においては、被告人が暴力をもってでも積極的にAに対抗することを決意し、その決意のもとに双方威を張りつつ対峙し、言い争いを続ける状態に至っていたものであることが明らかである。

2  問題は、これによって事態が相対ずくの喧嘩争闘へと転じ、その後におけるAの侵害行為が被告人にとって急迫性を失わせることになるのかどうかである。

そこで、さかのぼって右の対峙状態に至るまでの経過を見ると、当然B及びCより先の目撃者ということになるD子が南氷川橋南詰付近ですれ違ったのは、お前どこのもんだなどと因縁口調の旧知のAと、俺は静岡のもんだなどと応答するこれも旧知の被告人とが口論の気配で歩いている姿であり、これと時間を異にしてEが目撃したのは、同所を登計方向へ歩いて行く男(これも状況上被告人と認められる。)と、少し離れて両手に靴を持ち、追いすがるように歩いている旧知Aの姿であって、そこに窺われるのは、被告人が供述するような、極めて短時間のうちに息継ぐ間もなくAの攻撃が連続し、被告人は右へ左へと逃げ廻るのにただ精一杯というような切羽詰まった急迫性に終始する状況では到底有り得ない。一連の経過にかんがみれば、二人が出会ってから上半身裸の対峙状態になるまでには少なくとも数分間の時間的経過はあったものと認められるところ、この間のAの言動が全体として挑発に一貫していた旨の被告人供述を疑うに足る証拠はないにせよ、掴みかかる、殴りかかる等の身体に対する直接的暴行は被告人の供述によっても通じて三回くらいしかなかったというのであるから、概ねのところは、酔漢二人が南氷川橋の南詰付近において何やら口論を応酬し合い、これに間欠的にAの攻撃が加わるという状況に推移したことが窺われるのである。

もちろん、Aが数分間も被告人の身辺に付きまとい、言いがかりをつけ、間欠的にもせよ暴行にさえ及び、被告人が逃げようと試みても逃げきれない状態だ(そのように認定せざるを得ない。)ということは、全体として被告人の行動の自由及び身の安全という法益に対する急迫不正な侵害の継続に外ならないから、これに対しては相応の防衛行為が許されて然るべきであるし、また被告人において防衛の意思を発してもおかしくはない状況である。してみると、かかる経緯のもとに被告人が上半身裸となったというのも、Aの挑発と攻撃が更に継続すべき気配のもとに焦立ちと立腹も加わって、むしろ暴力をもってでもこれを排除制圧し、もって行動の自由と身の安全を図ろうという防衛の意図を併せ発し、手初めに威迫的行動を示したものであると推認する余地がないではない。少なくとも、これをもって被告人が相対ずくの喧嘩争闘を決意し、以後その状態に転換したことを示すものと一義的に見ることには証拠上躊躇せざるを得ないものがあって、ひっきょう、被告人が上半身裸となって以後の反撃につきそれが喧嘩の一環であって防衛行為ではないと断定しさることはできないのであるが、進んで防衛行為としての相当性を考える上では、不正な侵害の態様と程度が全体として右のようなものにとどまっていたということは見逃せない事情となる。

3  そこで、その後に被告人が行なった反撃の態様・程度を具体的に見ると(ちなみに、刑法三六条一項にいう「行為」とは、それについて正当防衛という違法性阻却事由の存否が判断される対象を指称する概念であって、すなわち構成要件に該当すべき所為を意味するから、狭義の行為すなわち動作だけではなく、故意犯における結果と同様に結果的加重犯における結果を含むものと解しなければならず、いわゆる「相当性」の有無も、狭義の反撃行為だけではなくその結果をも包めた全体について判断されるべきものである。)、被告人は、上半身裸のAが片手に下足を振り上げて迫ってきたので機先を制して胸元を一回強く手拳で突いたところ、同人は数歩後ろ寄りによろめいた勢いでほぼ仰向けにガードレール越しに橋下に転落していったと言うのであるから、それならば、その時のAは深い谷底を控えたガードレールを背に、かつ、これにかなり近接した場所に位置していたということになる。してみると、終始一貫して前認定程度のものであったAの侵害行為に対するに、被告人の加えた反撃たるや、その動作自体においても状況上Aの橋下転落とひいてはその死亡さえ招きかねない高度に危険な態様のものだったのであり(そのことは被告人も容易に認識し得た筈のものである。)、果たして結果においてもこの上ない重大な法益侵害を生じてしまったものなのである。これがいわゆる相当性の範囲を逸脱する明らかに過剰なものであったことはとうてい否定できない。

以上のとおり、被告人の判示所為は正当防衛行為と認めることはできず、過剰防衛行為にとどまると認められるものである。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二〇五条一項に該当するので、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役二年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中八〇日を右刑に算入し、情状により同法二五条一項を適用して本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して被告人に負担させることとする。

(量刑の事情)

本件は、見ず知らずのAから路上でいきなり因縁をつけられ執拗な挑発を受けた被告人が、理不尽な被害者の態度に激昂してこれに対抗し、その胸を突いて約四〇メートル下の河川敷に転落させ、その一命を失わせる事態を招いたというものであって、結果は余りにも重大であり、被告人の刑責はもとより軽いとするわけにはいかない。

しかし、その発端は被害者からの執拗な言いがかり・挑発的態度にあり、本件所為は判示のように過剰防衛行為と認められるものである上、被告人の子どもらが被害者の遺族らに対し慰謝料として二〇〇万円を支払って円満に示談を成立させ、遺族からも嘆願書が提出されていること、被告人には今まで前科前歴がなく、本件を反省し、被害者に申し訳ないことをした旨を陳述していること、その他被告人の子どもや会社の上司らがその身を案じていることなど、有利な又は斟酌すべき諸事情も存するので、これら諸事情を総合勘案して、被告人に対し主文掲記の刑を科するとともに、特に今回に限りその刑の執行を猶予することとした。

(求刑懲役四年)

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 柴田孝夫 裁判官 高橋勝男 田島清茂)

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